最近与太話ばかりで、音楽ネタがない事を気にしていました。そこで、今回は「これまで私が演奏して、心に残る演奏」について書きます。と言っても、そんなに無いのですぐにネタ切れになると思います。
今回は高校3年生の時の「部内、さよならコンサート」です。
これは何かというと、コンクールに惨敗した翌日、部のミーティングが始まる2時間前から3年生だけ集まって行った内部コンサートです。私達の学年は、ほぼ全てのパートに部員がいたので(トロンボーンだけ居なかった。)私たちだけでも合奏が成立したのです。
コンクールが終わって全員落胆している所に、部長や役員達が「明日の朝、ミーティングが始まる前にうちらだけで演奏しようよ。」と声をかけて回ったのです。(これにはちょっと歴史があって、私が1年生だった時に当時の3年生もやった事なんです。但し、状況は異なりますね。詳しくは、後述。)そして、みんな集まり「あれをやろう、これをやろう」と1年生の時からやった曲を白板に書きだし、演奏を始めたのです。
ミーティングの時間が近づくと「なんで、演奏しているのだろう。」後輩達がそぞろ集まってきました。時間も押し迫り、最後の曲となりました。最後の曲はJ.S.バッハ作曲「主よ、人の望みの喜びよ」でした。
何故この曲になったかには、訳があります。私の出身高校は、上昇気流に乗り部員が増えてきました。例年、2,3年生だけでは1部参加条件の50人に満たないのですが、その年は2,3年生だけで50人弱居たのです。
スパルタ練習の部活で毎年退部者が多いのですが、私の学年は、何と(しぶとく)23人も残っていたのをはじめ、2年生も20人以上いたのです。そう言うわけで、50人位いた1年生の殆どは私たちと同じステージに立つ事は出来ず、その代わり人数や編制に制限のない4部に出場しました。こんな事は初めての事で、その1年生達がやったのが「主よ、人の望みの喜びよ」だったのです。
こんな事情もあり、誰が言うわけでもなく、最後に演奏したのです。
こんな事を書くと照れくさく恥ずかしいですが、演奏後の約70名の拍手は大変温かく、ありがたいものでした。正直、嬉しくて感動したものです。
私は全国大会はおろか、関東大会出場の経験もありません。しかし、この時の充実感や拍手、そして練習場を包んだ雰囲気は、普門館を埋める5000人の拍手にも劣らないと信じています。
おまけ(半分暴露話で、年齢が分かる話。)
出身高校は、今日全国大会の常連校です。遡る事X年前、私が1年生の時に初めて1部に出場したのでした。「それじゃ、その前の年は?」簡単な話です。2部でした。前年は2部で関東大会に出場し、金賞を受賞したのです。
当時の3年生の間では、侃々諤々の話があったと聞いています。「1年生を加えれば50人枠の1部に参加できるし、1部に挑戦したい。」や「いや、今年も2部で行こう」など。最終的には、1部に初出場し予選を突破して県大会へ。
3年生達は、歓喜の引退でした。
2006年10月30日月曜日
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